人はいつか死んでしまう。ということを伝えたい

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数年前に祖母は階段でコケて頭を打ち付けた。

祖母は元々歳の割にはかなり活動的な人間だった。

70代に突入しても運転・裁縫・絵・ギター・ピアノ・さらにはベビーシッターのアルバイトをするなど、かなり活動的な婆さんだったと思う。

階段でコケて頭を打ち付けたという情報が入った時、家族総出で祖母のお見舞いに行った。

お見舞いに行くと、思ったより祖母が元気そうで安心したことを覚えている。

そんな祖母だったが頭を打ち付けてからというものの一人ではまともに生活できなったようで、叔母の家で祖母の面倒を見ることが決まった。

頭を打ち付けたことで、認知症が始まってしまったみたいだ。

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進行していく症状

老人ホームに入れるという選択もあったものの、叔母がどうしても面倒を看ると言うので叔母の家で面倒を看ることになったのだが…、悪魔とも言える叔母のせいで、祖母の症状はますます悪化していった。

叔母のせいで症状が加速度的に悪化したと言っても過言ではない。

そもそも叔母が祖母の面倒を、看ると言ったのはお金が欲しかったからである。

祖母の面倒を看ることで、わずかばかりの年金、たった百数十万の貯蓄。

それらをむしり取るのが目的だった。

お金さえ手に入ればよかったので、祖母の面倒を看るどころか、まともな料理を食べさせず、洗濯や掃除などの家事を祖母にやらせる始末であった。

今後またこけたり、頭を打ったりしない為にも家の中にバリアフリー+手すりをつける工事の必要があったのに、叔母は家が汚いから業者の人を呼べないという理由で工事を断固拒否。

そのせいで祖母は叔母の家で何度もこけ何度も骨折し、何度も頭を打っていた。

ひどいときには頭を打ち血を流していたこともあった。

ちなみに祖母は要介護認定されていたので、家の中をバリアフリー+手すりを付ける工事は全て国からお金が出たのにも関わらず、叔母が汚い家を人を呼べない呼びたくないという理由で、骨折に骨折を重ね認知症は進行していった。

祖母が叔母の家に行って数年後、老人ホームに移るタイミングで聞かされるのだが、祖母はどうやら認知症と共にパーキンソン病も発症していたみたいだ。

とうとう老人ホームに入ることに

叔母の家では面倒を診きれないということでとうとう老人ホームに入ることが決まった。

県外の大学に進学したということもあり老人ホームに入るまでの長い間僕は祖母に会っていなかった。

数年ぶりに祖母に会いに老人ホームに行くと、身体が2周りは小さくなり、話すスピードもかなりゆっくりになってしまった。

あのアクティブな祖母の姿はどこに消えたのだろうか?

小さなショックを顔に出さないように、少し会話をして、老人ホームを後にした。

これが大体二年半前の出来事である。

老人ホームでの生活

ここは本題には関係ないが、書く。

この時に始めて老人ホームに訪問したのだが、初訪問でかなりの衝撃を受けた。

便の臭いが漂う施設、あーあーと唸りながらままごとを行う老人、自力ではどこにも行けないここで一生を終えるという現実。

自分の親もいつか、自分もいつか、自分の祖母なんてもうすぐああなってしまうのでは?という恐怖から、老人ホーム自体がトラウマになってしまった。

安楽死制度がないことに対する疑問や、介護士偉い凄いなぜ給料が安いのかという疑問、老人ホームにいる老人達は自由がない状態で生きていたいのだろうか、超高齢化社会の深刻な問題について考えさせられるきっかけとなった。

要介護5になった

地元に帰ることなく就職したので、相変わらず祖母に会いに行けてなかったのだが、母から祖母がとうとう要介護5(最高レベル)になったので、さすがに一度だけでも会ってほしい。と連絡が入ったので会いに行くことに。

最後に祖母に会って約二年ぶりの対面となった。

老人ホームに着き、祖母がいるという大部屋に入ると、どうやら祖母はトイレに行っているようで、ベッドにはいなかったので暫く待つことに…

数分後祖母が車椅子でやってくるのだが…

衝撃だった。

以前会った時は身体が小さくなり、ゆっくりとだが会話ができたのだが

口が開けっ放しで、自力では歩くことも寝返りをうつことすらできない祖母の姿があまりにも衝撃だった。

なにかを話そうと声をかけるも、祖母は必死で「あー、あー」と返すのが精一杯で意思疎通ができない。

話せないのに頑張って話そうとしている姿また苦しかった。

たった二年会わないだけで認知症とパーキンソン病がこれほど進行していたことに本当に驚いた。

祖母の姿に自然と涙がこぼれたが、祖母は自分の姿にどう思っているのかわからないし、一番苦しいのは祖母自身だから、泣いてるのがバレないように収まるまでトイレに避難した。

24年間生きてきて、あれだけ自然と涙が溢れたのは初めてかもしれない。

不思議な感覚だった。

後で調べたが要介護5は

要介護状態において、最も重度な状態です。一人で日常生活を送ることがほぼできず、食事や排せつのほか、着替え、寝返りなど、あらゆる場面で介護が必要とされます。意思の疎通も困難な状態です。

要介護認定を受けるには?

最も重度な状態らしく、祖母がああいう状態であるのにも頷けた。

良くなることがない入院

老人ホームで見た祖母の姿が怖くて、半年ほど、祖母には会えずにいたのだがどうやら祖母の様態が思わしくないようで、いつでも祖母に会いに行けるようにと実家に帰った。

祖母のお見舞いに行くと以前よりもさらにやせ細りぐったりとした様子で、どうやら自分で痰を出すことができず、その痰が肺に流れ、炎症を起こしているということだった。

どうやら現状良くなることはないし、点滴も胃瘻もやめ、あとはゆっくりと衰弱して亡くなるのを待つという段階らしい。

毎日のように母と一緒に祖母のお見舞いに行き、祖母の顔を覗き、手を握ったり話をした。

祖母は意思疎通する手段がないので、どう思っているのか、どうしてほしいのかが全くわからないし、きっとこうだろうなと勝手に理解したつもりになっている自分が嫌だった。

日に日に心拍数も酸素濃度も落ちてきていよいよ明日かというような気がしたので、家族総出で見舞いに行くとなんと祖母の様態が少し良くなったみたいだ。

これは家族や親戚がみんなでお見舞いに行ったから元気がでたのか???

祖母は胃瘻を再開し、まだしばらくは生きられるようだ。

だが胃瘻を再開したところで、会話もできないし、寝返りさえうてない。

良くなることがなく、生き続ける生かせられるって残酷だ。

祖母にひどい仕打ちをし続けた叔母が様態が良くなったと聞いて泣いていたのが驚きだった。

人はいつか死ぬ

祖母の見舞い中、人はいつか死ぬ。ということをずっと考えていた。

数年前はあれだけ元気だった祖母が今の状態になって、いつかは亡くなるということを強く認識した。

祖父が健康が一番やと口うるさく言っていたのはこのことだったのか、と今更わかった。

きっと本当に亡くなる時はドラマみたいに家族に囲まれる中最後に遺言を残し、号泣という綺麗なものではなく、汚い姿でもがき苦しみ誰にも知られず亡くなるのだろう。

自分も親もどんどん年老いていき、いずれは自力で動けなくなる日も来るだろう。

自由に動ける残された時間はあと…

何が正しいんだろう。

生きていたくないなんて思うのは贅沢だと思う反面、この息苦しさの中生きていくのか…とかいろいろ考えてしまった。

自分が死ぬであろう歳から逆算して今何をやるべきなのかということを考えた方が良いのかもね

 

 

 

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